倉沢良弦『ニュースの裏側』

いろいろ、書いてます。お仕事のご依頼は、ryougenkurasawa@gmail.com。

新型コロナウイルスとイマニュエル・カント

拙コラムは、野放図にテーマを決めず思ったままを書いているので、時に、こんなことも書いてみる。

新型コロナウイルスが生み出したものは、グローバル経済の停滞と、人の移動を制限することは経済の停滞をもたらし、しかもそれが人々が考えている以上に深刻な事態に直結してしまうと共に、それに対し存外、我々はなす術が限られていると明らかにしてしまったことだ。

何も日本に限ったことではなく、現在、爆発的な感染者と死者を出している欧米各国では、たちどころに失業者が溢れてしまっていて、震源地でもあり世界に先駆けて経済活動が戻ってきたChinaも例外ではない。では、今回の新型コロナウイルスに対し、歴史に残る正しい解を導き出した国は、一体、いくつあるだろうか?

日本と同じ島国である台湾は、地政学的な問題もあり、また経済活動の問題もあって、いち早く鎖国政策をとった。

韓国では、ドライブスルー方式等の公開のPCR検査を採用し、その対象を広く拡大することで、感染者の掌握を行いながら都市封鎖につなげ、感染拡大を防止した。

日本は、クラスター化した感染者の徹底追跡を綿密に行い、一つ一つ潰していく方針をとった。つまり、大きくは感染者の全体像を掌握するか、発症者に焦点を絞っていくかの違いとも言える。

それが、正しい選択であったか否か?は、新型コロナウイルスのワクチンや特効薬が開発され、このウイルスが引き起こす感染症が、季節性インフルエンザと同じように人類と共存できるようになって初めて、明らかになる。

人類にとって初めて対峙するこのウイルスが、私たちに教えたものはなんだろうか?

Chinaでは武漢市封鎖に始まり、湖北省が封鎖され、また大都市に飛び火した段階で、次々に都市封鎖が行われた。その後、欧米諸国にウイルスが拡大し、多くの死者を出したことによって、結局、行き着くところはChina中央政府の失政とChinaの影響を強く受けていると言われているWHOに批判の矛先が向いている。

実際にやるかやらないかは別として、世界に伝播させてしまったChina政府への責任追及を行い、それをお金に換算すると、日本円で500兆円規模に上ると言われている。仮にChina政府が、世界に影響を与えている経済規模を振りかざし強気の姿勢を見せると、先進国のChina離れが加速するかもしれない。China政府としてもそれは何としても避けたいのか、現在、徹底したマスク外交を展開している。日本のある都市は、Chinaに支援物資として送ったマスクの10倍のマスクがChinaから贈られた。好意的に解釈すれば、Chinaは義に厚い国ということになるが、斜めから見ればこの機にマスク外交を徹底することで、コスパの良い外交を行っているとも言える。

 

人間の義務と権利について考えたイマニュエル・カントは、『純粋理性批判』の中で「正義」とは何か?を①幸福の最大化②正義と自由③美徳の報いという三つの問いから考えた。

ここで、カントは人間とは純粋に理性的な存在であり、それを希求できる存在であるとした。それは「理性の能力」と「自由の能力」という言葉に置き換えられる。一方、人間は「感性的」な存在でもあって、物欲だったり性欲だったり本能に近い面もあるとした。

また、カントの言う「自由」とは自律的行動原理に基づく、目的化された行動原理、という一見するとよく分からない行動原理を言う。簡単に言えば、他人が自分の行動を決めるのではなく、何故行動を起こすのか?も含め、自己決定権を持ち目的を明確にして、行動自体も自己決定に従って行う。それができるのが、人間に与えられた自由だ、とカントは説いた。

また、人間が美徳を発揮して、より道徳的な行動を行えるか?は、「道徳法則に従うのみならず、道徳法則のため」の行動でなければならない。これまた、よく分からない言葉の羅列だが、つまりカントは、人が道徳的であろうとするには、正しいことを正しい理由に従って行動すればいいのだ、と言っている。

これらを煎じ詰めれば、カントはそれほど難しいことを言っているわけではなくて、人が自分の人生を生きるには、正しいと思える行動原理に従い、正しいと思える理由によってその人の人生を生きる。自分の人生を生きるという一見、功利的に見える生き様であっても、それが正しいものならば、自分の命を維持して道徳的に生きることの価値を損なわない。

 

街を歩いていて、すれ違う人がマスクも着けないで咳をしたとする。今であれば、「すわっ!コロナがー!」と不安になる。では不躾に咳をした人を責められるだろうか?もしかしたら、その人は花粉症もちで気管支が弱く、他人の香水やChinaから飛んでくるPM2.5を吸い込み咽せただけかもしれない。

すれ違い様に咳をされて、嫌な思いをした人については、どうだろう?その人は、テレビで散々報じている人工呼吸器をつけて苦しんでいる重症患者の姿を見て、自分自身がCOVID−19を発症したくないと思っているかもしれない。あるいは、家族に基礎疾患患者がいて、感染すれば家族がたちまち重症化の危険に晒されるから、家に持ち帰りたくない、と思って怪訝な顔をしたかもしれない。

営業自粛に従わないパチ屋が、ネット上で叩かれたりするのも、東京に住んでて感染したくないから地方に出かけていく人が叩かれるのも、叩く側の正義に従った行動だ。では、叩かれている側に正義はないのだろうか?

 

新型コロナウイルスを相手に、右往左往する人類を見て、カントは何ていうだろう?

 

「とどのつまり、正しい理由で正しい行いをせいて、オレ言うたよな!」

「右見ても左見ても、他人の言う言葉に左右されっぱなしやんけ!自分で正しいことを考えて、正しい行いをせんかい!」

 

くらい、言ったかもしれない。