倉沢良弦『ニュースの裏側』

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紫蘭の涙

空港の待合室の長椅子に座っていた私は、きっと病人のように青い顔をしていたのだろう。
近づいてきた空港職員が、“ご気分が悪いのですか?“と、声を掛けてきた。

Esta bien No quería perder este avión, así que vine a toda prisa ...”
“大丈夫です。この飛行機を逃したくなくて急いで来たので…“

”そうですか、いつでもお声がけを“

”ありがとう“

私は、アジア原産であるはずの紫蘭の植木鉢が並んでいるのを不思議な気持ちで眺めながら、ラウラの瞳の色のようだな、と、私の目の前で涙を流して微笑みながら、“こうするしかないの、私には…”と言って、自ら手首を切った17歳の女の子の笑顔を思い出していた。


忘れられない夏の思い出は、メキシコ経由でこの国にきた時から始まる。

現地法人を設立するなら、この人を尋ねたらいい”

と、メキシコの現地法人の顧問弁護士が紹介してくれたサンホセ市内の弁護士に会うことが目的だった。我々の法人設立の目的を理解してもらい、地元の大学教授や企業とコンタクトを取りながら、10年程度の長期計画を進めるための先鞭をつけるのが、私の仕事だった。
既に事前連絡で話を通していたせいで、和やかな雰囲気で話し合いは進み、私たちは握手をして、打ち合わせを終えた。
事務所を出る時、その弁護士が偶然居合わせたクラウディアを私に紹介してくれた。

”ちょうどいいとこだ、クラウディアを紹介します。彼女はサンホセ市内で麻薬撲滅運動を進める民間団体の代表です“

背が高く、色白のクラウディアは、地元で商店主をしながら、若者の麻薬撲滅運動を行なっているのだと自己紹介した。私は、日本の◯◯の技術普及のために研究機関の設立準備で一ヶ月程度の予定でこの国に来ました、と自己紹介した。
南米の多くの国々では、犯罪と麻薬が蔓延る自国の状況を憂い、民間団体を設立して活動している人が多くいる。そして、その多くが資金難に苦しんでいた。
彼女は熱心に、自分たちの活動を説明してくれた。“ご縁があれば、一緒に仕事をしましょう”と言って、その日は別れた。
状況報告書をまとめメール送信した後、私は、仕事がなくなってしまった。あと出来ることは、仮事務所を設置できる場所を探すことと、できるだけ地元の名士とコンタクトをとり、法人設立後の道筋をつけることくらいだ。私は、クラウディアのこともその報告書の中に書き添えた。
日本の反応は早く、まずクラウディアを通じて現地の状況をつぶさに調査し報告せよ、との命が下った。南米では、社会的成功者となっている人の多くが英語を話す。それは大学教育を受けたことの証明でもあり、クラウディアは流暢な英語を使えた。当時の私は、スペイン語は聞けば理解できるが、話すのは苦手というレベルで、英語が話せる彼女の存在はありがたかった。
クラウディアの商店は市内のメインストリート近くにあり、雑貨や食料品を扱っていた。特別彼女が富裕層の一人だとは言い難かったが、それでも商売で生計を立てている一人の独立した女性という印象を受けた。
彼女の活動は、決して大々的なものでも、目覚ましい結果を生んでいるとも言い難かったが、サン・ホセ市内に麻薬中毒の若者を受け入れるシェルターを開設していて、彼女たちが受け付ける寄付の多くはそのシェルターの運営に回されていた。

昼間、大変に多忙なクラウディアは、よく私を夕食に招いてくれ、食事をしながら打ち合わせを行うことが多かった。私はサンホセ市内に人脈を作ることを目的とし、彼女は私を通じて日本からの資金援助を得たいというのが目的だった。双方の利害が一致している中、仕事はスムーズに運び、短い一ヶ月程度の間に、数名の企業経営者や民間団体の代表者にコンタクトをとることができた。
クラウディアの自宅に最初に呼ばれた時、夕食の席にラウラがいたのが、最初の出会いだった。コスタリカは美人が多い国で有名だが、ラウラはこの国には珍しく、白い肌で少し紫色がかった瞳をしていた。ハッと目を引く美女ではないが、言葉数が少なく、いつも微笑んでいるような娘だった。
17歳だった。

“彼女はラウラ。可哀想な身寄りの娘で、私が引き取って育てているの”

クラウディアは、ラウラの手を握りながら、私にそう話した。
それから、何度かクラウディアの家で食事をしながら打ち合わせをしたのだが、私がクラウディアの帰宅より先に、彼女の家に着いてしまうこともよくあった。クラウディアの家は、女性しか住んでいないこともあり、玄関と勝手口は普通のドアの他、防犯用の鉄格子の扉がついていた。
私が呼び鈴を鳴らすと、私が来ることを待っていたかのように、ラウラは直ぐに出てきて、少しの間だけ、2人で鉄格子沿いに会話をする。そうやってクラウディアの帰宅を待つことが何度かあった。ラウラは、

“この扉は、外側からしか開けられないから、私はこの扉を開けたことがない”

と、悲しそうに呟いた。若い女の子一人、家にいるのだから、防犯上は仕方ないのだろう、と私は考えていた。
ラウラは、私の下手くそな英語混じりのスペイン語のジョークに、ただ楽しそうに笑っていて、時に優しく私のスペイン語を直してくれる。私は、ラウラが大好きになった。
ラウラは、とても熱心に日本のことを聞きたがった。そのたび私は、日本の四季や富士山や東京タワーや美しい海の話をした。
一人で海外にいると、こうやって新たな友人ができることが、心の励みになる。
私は、ほんの僅かなこのラウラとの会話を心から楽しんでいた。

クラウディアが帰ってくると、私を中に招き入れ、すぐに鉄格子の扉を閉める。
そして、食事の時に日本の話が出るたびに、

“いつか、日本に行けるといいわね。でも、まだまだよね…”

“日本に来たら、私が案内します。お寿司を食べて、東京タワーに登りましょう”

若かった私は、その会話の中にある少しの違和感を感じ取れるほど大人ではなかった。


クラウディアとの交流が進み、何人かの人を紹介され、残り数日でこの国を離れなければならなかったある日、私の泊まっていたホテルに不思議な客が来た。受付から回ってきた電話に出ると、男の声で地元警察だと自己紹介した。

“よければ、下のカフェでちょっと話を聞かせて欲しい“

それは、詰問するような口調ではなく、日常会話をするようなくだけだ感じだった。私は、本能的に嫌な感じを受けたが、申し出を断る理由もなくその刑事と会うことにした。

”クラウディアの家によく行かれているようですが、目的はなんですか?“

私は、この国に来た目的を説明し、営利目的ではなく、お金を稼ぐために来たんじゃありません、とパスポートを見せて説明した。

“ああ、そうなんですね。いえ、気にしないでください”

“あと数日で、私は帰国しないといけません”

コスタリカはいい国でしょう?是非、また来てください”

そう言って、刑事は去っていった。


帰国の前日。私はクラウディアから最後の食事会に招待され、彼女の家を訪問することになっていた。
タクシーで彼女の家に着いた時、中からクラウディアの怒鳴る声が聞こえてきた。

“何を言ってんのよ、私のところから出れるなんて思わないことね!あなたは一生、ここにいるの!それがあなたのためなの!”

私が呼び鈴を鳴らすと、少し憔悴したクラウディアが出てきて、鉄格子の扉を開けてくれた。

“ごめんなさい。今日は都合が悪いわ。来てくれて、ありがとう。でも、今日はキャンセルさせて…”

“何があったんですか?大丈夫ですか?ラウラはどうしてるんですか?”

何が起きているか分からないまま、動揺した私は、少し大きな声を出してしまった。

“分かりました。食事はいいので、最後にラウラにお礼だけ言わせてください”

私がそう言うと同時に、右手にカッターナイフを持ったラウラが出てきた。

“あなた、何をやっているの!”

クラウディアが叫んだ。

止めることは出来なかった。ラウラはいきなり手首にカッターナイフを刺し、自分の腕を切り裂いた。
彼女の白い肌と白いシャツが、みるみる吹き出す鮮血で赤く染まる。
クラウディアと私が駆け寄り、私は何とかして止血できないかと、ワイシャツを脱いでラウラの腕を縛った。
そして、騒ぎを聞きつけた近所の人に、

“Please call emergency she wounded herself, she'll dead!!!"

私は、動転して英語で叫んでいた。

“お願い、救急車を呼んで!怪我をしているの!”

クラウディアがスペイン語で叫ぶ。

“No tengo mas remedio que hacer esto (私には、こうするしかないの)....."

白い肌に紫色の綺麗な瞳の娘が、涙を流しながら、消え入りそうな声で、そう言った。

救急搬送体制の遅れているコスタリカは、救急車が来るのに時間がかかる。
どれほど待ったか、わからない。
救急車が来て、クラウディアとラウラが運ばれていった。
最後にラウラの顔を見たのは、ストレッチャーの上で心臓マッサージを受けながら救急車に乗る彼女の横顔だった。
血の気が引き、血で真っ赤に染まっていたが、不思議にその横顔は綺麗だった。

その後のことはよく覚えていない。
空港の待合室にあった紫蘭の花を見て、ラウラの笑顔が浮かんだ瞬間、抑えられない衝動が込み上げて、私は顔にハンカチを押し当て、ひとりで泣いた。



帰国後、サンホセの弁護士に連絡をとると、少し事情が分かってきた。
ラウラは、サンホセから遠く離れた街の生まれだった。父親はおらず、満足に食べられないラウラは、13歳から体を売って生活し、そしてドラッグを覚えた。
麻薬撲滅運動の中でラウラに出会ったクラウディアは、彼女を引き取ることを決めた。ご主人と死別し、子供のいなかったクラウディアもまた、その寂しさを紛らわせたかったのかもしれない。ラウラが15歳の時だ。
しかし、クラウディアは、ラウラを家に閉じ込めることを選択してしまった。
二年間という月日が、もしかしたら、ラウラの精神を崩壊させたのかもしれない。あるいは、生きることの意味を見失わせたのかもしれない。
クラウディアの話では、あの日、家を出たがったラウラとの間で、口論になったのだという。
悲観したラウラは、発作的に自らの手首を切った。
私のもとへ警察が来たのは、普段からクラウディアは私の知らないところで色々と問題を起こしていたかららしい。そんな彼女のところにスーツを着た東洋人が出入りしたことで、警察もマークしていたようだ。
その背景は、私にもわからない。



27歳の夏から、随分と時が経った。
あの空港で見た紫蘭の鉢植えが、ラウラの透明な白い肌と、透き通る紫の瞳に、思い出となって重なる。

街で紫色のカラコンの女性とすれ違うと、今でも、ハッとすることがある。

思い出が強すぎてしまうのだろうか、幾度かコスタリカに行くチャンスはあったのだが、結局、今まで行けていないままだ。