倉沢良弦『ニュースの裏側』

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給付金が生み出すミクロな話

5月になり、今のところの予定ではゴールデンウィーク明けの本会議で、補正予算が可決し、全国民に対しての一律給付が始まる。

この給付金に合わせ、緊急小口資金貸付や、中小零細や個人事業主に対しての給付が始まることになるが、いずれも、今回の新型コロナウイルス蔓延による経済活動の冷え込みに対し、国民生活を安定させるために行われるもので、世界中の先進国で行われることだ。

つまり、この給付金は必ず使われるお金として配られるので、落ち込んだ消費を回復するために即効性のあるものとして、財政を抜きにやらなければいけないことだ。

サービス業、飲食業に始まった今回のコロナショックは、物流面にも影響を与え始めているので、本当に国内経済が逼迫する前兆にあるとの懸念が広がるが、一方で、この必ず使われることが分かっているお金は、マクロ的にどんな意味があるだろうか?

私は経済の専門家ではないが、少ない知見から、予測し、考えてみたい。

 

人間は生きていくためには、食べていかなければならないし、そのために働かなければいけない。国民生活が豊かになる指標は、失業率の低下と有効求人倍率の向上にある。政治は経済であると言われる点の一つがここにある。つまり、国民が生きていくためには、働く環境が整っていなければならない。私は、当初から今回のコロナショックは経済ショックだ、と言ってきた点がここにある。見えざるウイルスの脅威に対し、人間は無力だ。なす術が無いから、経験と英知を結集して、可能な限りの予防策を執る。警戒感を高める。必然的に、人と人の交わりを抑制する。結果、都市封鎖(ロックダウン)や、鎖国状態を作り、人を見たらウイルスと思え!という精神構造になる。

政府が繰り返し、自粛要請するのも、結局、ウイルスを伝播するのは人なので、その交流を抑える以外に方法がない。しかし、人は仙人にあらずで、生きていくために食べるために、やはり何処かに出かけていかなければならない。また、病気を抱えている人は、恐怖感に打ち勝ちながら病院にも行かなければいけない。誰だって、医療機関が感染源になるだろうとは、容易に予想できても、薬を必要とする人にとっては、生命線であるのも事実だ。

当然だが、仕事が無くなれば収入の道が途絶えるのだから、お金が無い不安が襲う。財布の中身と相談しながら、少しでも延命するためにと考えを巡らす。これを、デフレマインドと言う。

デフレを引き起こす最大の要因は、お金が減っていくことへの不安だ。デフレとは、モノの価値よりもお金の価値が上がることを言う。人間は常に明日への不安を抱えている生き物だから、価値あるものが目の前から減っていくことに恐怖感を覚える。だから、財布の紐が硬くなり、余計な出費を控えようとする。

経済学で見れば、いつまでもデフレが続くものではないし、マクロ的に見てお金というものは世の中に増え続けるモノなのだ。ところが、日本は、バブル崩壊以後、デフレマインドが国全体を覆っている。なぜ、百均の店舗が増えてきたか、それを考えれば分かる。また、昭和の高度成長期と比較すれば、大いに稼ぎ、大いに使うというマインドとの差を見ても明らかだ。

現在のコロナショックは、そのデフレマインドに拍車をかけている。

そこで、政府は大規模な財政出動を行い、国民に現金を渡すことで、衣食住の不安を少しでも和らげようとする。現実問題としてみれば、今回の国民一人当たり10万円の一律給付は、決して大規模とは言えない。私は国民一人当たり100万円、配ってもいいと思っている。それには具体的な数字もあるのだが、ここでは話がややこしくなるので、省かせていただき、別の機会に考えていきたい。

 

上記のようなデフレマインドは、いつまで続くのか?給付金を配っただけで、本当に解消されるのか?という疑問が湧く。しかしながら、これは案外と簡単に解消される。

物の価格は需要と供給のバランスによって決定される。世の中がデフレマインドに支配されていたら、当然だがより安価な物へと消費者は走りがちになる。流石に自粛ムードが漂っている中、お金が手に入ったからと言って、安易に何処かに出かけようとする人はいないだろうが、お金を手にした安心感から、夕食のおかずを一品増やそうと考えるだろうし、せっかくだから少しの贅沢でもしようかな?少しくらい高くても、遠方の安いスーパーではなく近所のスーパーにしようかな?という消費マインドが働く。この少しの余裕が、国民全体に広がれば、たとえ1人の消費額は少額であったとしても、全体のパイを見れば大きくなる。

供給に対し、需要が大きくなれば、物の値段は上がる。

ここがとても大事で、長期にわたりデフレマインドが国民生活を支配してしまうと、インフレは悪だ、という観念が知らず知らず刷り込まれてしまう。財務省が緊縮財政を主導し、財布の紐を締めてしまい、世の中に流通するお金の総量に制限を加えていることが、元々の発端で、それがデフレマインドから脱却できない主原因だ。材と物流がグローバル化している現代で、デフレのままの経済は、国民生活を圧迫するだけだ。前回の拙コラムでも触れたが、経済規模が拡大すれば、お金の総量が増えるというのは間違いで、経済規模が大きくなってもデフレマインドから脱却しなければ、結果において国民生活は充実しない。少しでいいので、国民が財布の紐を緩めるためには、特にコロナショックのような事態になれば、直接、国民にお金を配り、消費マインドを変えていくしかない。それが、景気刺激策というやつだ。

遠くない先に、この自粛は解消される。

私は、Twitterでも触れてきたが、今回の給付金は使うためのお金なので、資産を持っている人は散財すればいいと思う。また、現在、コロナショックと闘っている最前線の医療関係者に寄付してもいいと思う。軽症患者を勇気を持って受け入れたホテルに予約を入れて、その功に報いるのもいいだろう。

今回の給付金の半分は貯蓄に回されるのではないか?という経済アナリストの予測もあり、それはそれでいいと思うのだが、もっと今回の給付金は使うことに大きな意味がある、というのをテレビや新聞は言うべきだと思う。その辺りの本当のことを、テレビも新聞も腹が立つくらいに言わない。

繰り返すが、貯蓄に回すことを悪いと言っているのではない。今回の給付金は、使うことが目的のお金であり、それが結果的に国民全体に益する効果があると言っているのだ。

 

表題のミクロと言う言葉の意味は、この点にある。

今回の給付金は、ミクロ経済に刺激を与えるためのものだと、分かっておく必要があると思うのだ。