倉沢良弦『ニュースの裏側』

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日本にデモが定着しない理由

新宿や大阪で、現在の安倍総理に反対する集団のデモ行動が行われた。
主催者発表3,000人ということだが、出発地点の人数と、途中からデモに参加した人数を加えても2,000人に満たないというのがどうやら実数のようだ。具体的に1,700人という数字を算出しているサイトもある。
最も盛り上がったと言われる2015年の国会議事堂前デモでは、主催者発表12万人に対し、警察は3万人以下と発表し、上空から撮影した映像を解析したサイトでは2万人に満たないのではないか?との見方を示した。
このように主催者発表というものは、いつの時代もアテにはならないのだが、国会議事堂前デモの時と比べても、新宿周辺のデモは凋落の感が否めない。何故、このようなことが起きるのだろうか。
それに比し、世界中でプロパガンダが行われている気候変動を問題視したデモや、中東各国で行われている反政府デモや、香港で若者を中心に連日行われているデモは、多少の増減はあったにせよ、数十万人から百万人以上が結集している。
この差は一体なんだろうか?
日本国内で大規模なデモが行われたのは、古くは室町時代まで遡る。食べられない農民を利用して地方の覇権争いをするのが主な目的であった。
その意味では、現在、日本でたまに起きるドンチャン騒ぎのデモも似たようなもので、多くは政治思想を背景に、日本の特定野党支持者が結集する場合が多く、表向きは給料が上がらないとか、努力しても報われないのは、誰かのせいだと今の政権批判を繰り返す。つまり、常に背後には政治を批判する連中が、あの手この手を使っているだけだとも言えないだろうか?
今のように、デモを行う人々の背景が様々な形で表に出てくるようになると、デモを行うことで主張を表象させる目的は、同時にそれがいかに愚かな行為であるか?も、表象することになるだろう。また、政治利用したい連中がいることもバレバレになっているので、それを分かった人々は、ただバカバカしいという印象しか残らない。日本は民主主義が選挙という形で公正に担保されているのだから、僅か数千人のデモを行ったところで、国論を揺るがすものとはならない。
デモを主催する側、賛同する側は、デモこそが公正に認められた民主主義の形だから、自分たちを批判するのはおかしいと言う。ところが、彼らがお手本とするところの欧米のデモは、そもそも彼らのような形だけを真似するようなものとは根本的に意味が違う。
例えばフランスでは、労働者の革命が起きた国の歴史をなぞるように毎日どこかでデモが起きている。直近では昨年末に年金制度改革に反対する大規模デモが行われた。これはデモというよりは暴動に近く、商店は破壊され機動隊が出動して催涙弾が放たれている。このデモの背景には、社会主義を協力に押し進めようとするマクロン政権に対する反発が大きい。若年層の失業率は高止まりで、増税路線と年金問題で国民の不満が爆発した形となった。フランス全土で実に80万人以上がデモを行った。これは、イギリスのBrexitもその要因の一つとなっている。フランス国民やドイツ国民はEU体制の維持の為にその負担を押し付けられているだけではないか、イギリスはEUを捨てた、という見方だ。その上で国民に更なる負担を強いる増税や年金改革を推し進めようとするマクロン政権に反発しているのだ。
勿論、これらの背後にも反マクロン政権の野党が暗躍しているのだが、そもそも国情が不安定なことそのものが国民の不満を増大させている。

では、あれだけ新宿で馬鹿騒ぎをやっている連中の横を、奇異なものを見る目で歩行者が行き過ぎるのは何故だろうか?
どうして彼らの主張は街を行き交う人に賛同されないのだろうか?
デモを主催する連中は、自分たちのデモに次々に参加者が膨らみ、数万人数十万人に膨れ上がることを夢見ているのだ。そして、現在の安倍政権が退陣に追い込まれることを夢見ているのである。
ところが、結果はそうならなかった。その意味を、本当に考えたことがあるだろうか?
例えば、今の日本で失業率が10%以上になり、自殺者が年間4万人くらいにまで膨らむような状況になったら、もしかしたら、もっと大規模なデモが行われるかもしれない。
今の韓国のように、財閥が経済を支配し、超高学歴社会に落ちこぼれると、あとは芸能人になるかYouTuberにでもなるしか道は無いような社会構造になれば、大統領が変わる度に百万人規模のデモが行われる国になるだろう。
新宿で馬鹿騒ぎをする連中は、手法を変えるか、主張を変えるのがデモ参加者を増やす一番の近道だろう。

ただ、今の日本国民がデモを起こしてでも抗議の意思を示したい不満があるか?を探そうとしても、多分、探し出すのは困難な気がする。