倉沢良弦『ニュースの裏側』

いろいろ、書いてます。お仕事のご依頼は、ryougenkurasawa@gmail.com。

中村医師の残したもの

アフガニスタン人道支援活動を行なってきた中村医師が、テロリストにより射殺された。
テレビで取り上げられたり、ノーベル平和賞の候補者として名前が挙がったりもした氏は、長年、アフガニスタンの人々の尊崇の念を集め、異教徒(氏は敬虔なクリスチャン)であるにも関わらず、現地の人々から受け入れられ、最も大切な隣人として扱われてきた。
氏の人道的な活動は、アフガン国民の日本人に対する意識を変えてしまうほどの高い評価を受けており、今上陛下とも交流があった。
このような日本人がいることは、テレビや一部報道で日本国民に知られることはあっても、その道程の苦難は中々伝わるものではない。その意味で、中村氏の功績を知る人々の哀しみは大きい。また、ご高齢ではあったが、進行中のプロジェクトもあったようでアフガン国民の間にも大きな哀しみが広がっている。
今回の事件にあたり、ターリバーンはアフガン政府の報復を警戒してか、即座に関与を否定する声明を発した。事件の真相はまだ明らかにはなっていないが、中村氏が亡くなったことが予想外に波紋を広げていることが分かる。現在、アフガニスタン政府は、ターリバーンをテロ組織、反政府組織としていて対立しているが、そのターリバーンが即座に声明を出すほど中村氏はアフガニスタン国内で存在感を示していたのだ。
中村氏は生前、憲法9条の重要性と、憲法9条を掲げる日本だからこそ、日本人は尊敬され攻撃対象となっていないと主張していた。中村氏の活動は現地の人々の理解と協力がなければ到底、継続も実現も不可能だ。内戦による壊滅的なアフガン国内にライフラインを建設するという事業は、アフガン国民が立ち上がらなければならないものである。その時、中村氏を支えていたものは彼の活動への理解を示すアフガン国民の感情であったのは間違いない。アフガン国民が中村氏に向けた愛情の根底に果たして、憲法9条があったのか?は、大きな疑問がある。
イスラームクルアーンによれば、遊牧民であったイスラームの人々にとって、旅の最中に出会う人々は全て大切な隣人であり客人として温かくもてなすとある。アフガン国民は憲法9条を掲げる日本人としての中村氏を歓迎したのではなくて、アフガン国民のために尽力する中村氏の功績に報いようとしたのではないだろうか?イスラームの教えに則り、アフガンの民が建国に向かう旅の途中で出会った、敵意の無い大切な友人として中村氏を迎え入れたのではないだろうか?
中村氏の死を利用して、憲法改正論議をするな、と主張する人々がいる。言い換えるなら、憲法9条を日本の国是とすべきだという論を張りたい人々が、今後も日本人は人道支援等、平和外交を展開せよとの論陣かもしれない。
ところが、中村氏がアフガンの人々に受け入れられた背景をよく理解した上で、改めて、では海外で活動する邦人保護をどうするのか?という議論は加速させなければいけないだろう。
実際に、今回の事件をアフガン政府はテロと認定し、目撃者の証言は中村氏を標的にしたものだと認めている。イスラム国の時もそうであったように、邦人が拘束されても日本は助けに行くことができない。戦地に行くこと自体が無謀であり自己責任だ、という意見もあるが、それ以前に国家は国民の生命の安全を保障し、国土を守る統治機構が無ければ、国家とは言えない。その国家の統治機構最高法規憲法だ。その憲法自衛隊が明記されず、邦人が外国で拘束されても助けに行くことが出来ない憲法は、国際社会において国家の体を為していないことを表している。
仮に、中村氏の言う憲法9条が日本人の国際的な地位を確保しているとしても、事実はそうはなっていないことを、中村氏自身が表明してしまった。
私は、中村氏が残した最大の功績は、日本国民に憲法改正論議を再興させたことではないかと思う。