倉沢良弦『ニュースの裏側』

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コロナショックの前と後で変わるもの

世界に大混乱を引き起こしたウイルスは、私たちに何をもたらしたのだろうか? 
コロナショックの前と後で、私たちの生活習慣や考え方の何が変わったのだろうか?

現在、国会では検察庁法改正に多くの議論が沸き起こっているが、政局を意識する特定の野党は、安倍政権がコロナショックを利用して、強行採決を行う恐れあがるとして、予算委員会等で盛んにそこを追求してますが、本来的な国民に対する支援策、企業に対する支援策についての議論が進んでいない印象を受けます。
特に11日の立憲民主党福山哲郎議員による質疑を聞いて、気分を害した人も多いでしょう。
専門家会議の尾身先生に対する不遜な態度は、多くの研究者や感染症の専門家の尊厳を傷つけるものでした。ご本人もぶら下がり会見等で、釈明するような言い方をしているが、ツイッターでは福山氏を批判するハッシュタグがたち、既に30万を超えるツイートになっている。

https://www.j-cast.com/2020/05/12385828.html?p=all

確かに、今回尾身副座長は参考人として政府側の立場で国会に出席してはいるのだが、尾身氏の功績は、WHOに事務局長に推挙されるほどのもので、日本の感染症専門家の中でも、その実績と知見においてずば抜けている。国会議員たる福山氏は選挙において国民から選ばれた立場の人間であって、彼に投票した人々の代弁者であろう。代議士ではない参議院だったとしてもだ。

現在のコロナショックは、医療関係者のみならず、自粛要請に従っている全ての人々に苦難の道を強いている。最も大きな影響を受けていると思われるのが、サービス業、飲食業を中心とした中小零細だが、一方で小売業にも影響が出始めている。店舗数を減らしたり、事業規模の縮小に乗り出す企業が増え始めた。経産省は事業規模に合わせた緊急の資金供給に乗り出しているが、返済の目処が立たない企業は、当座のつなぎ融資に活路を見出したとしても、その先が見えていない。その意味で、サービス業、飲食業は新たな事業形態に移行する段階だろう。
ウーバーイーツのようなBtoCモデルが活況を呈しているが、自粛ムードの中での一時的な需要だとしても、今後のサービス産業の方向性を示していることは間違いない。機を見るに敏でかつ資金力のある企業は、即時、転換を図れるが、そうではない個人経営の小商いの場合、先行きの不安は拭えない。政府の多厚い支援と言っても、それには限界がある。
れいわ新選組山本太郎氏は、追加で100兆円規模の財政出動をあと2回は行うべきだと主張するが、問題はその中身であって、冗舌な割に荒唐無稽な財政支出論は、お粗末と言わざるを得ない。彼を毒しているMMT理論は、一歩間違えれば暴走しかねない危うさを含んでいる。

また、テレビでは盛んにタレントがリモート出演する番組を流している。
コレも、いわゆる一般企業で進めている方向に追随した形だ。テレビコンテンツは行き詰まりを見せていて、それに比してタレントの数が多すぎるので、この機に転職を迫られるタレントも多く出てくるだろう。裾野が大きければ山は高くなるのだが、それには市場が無ければならない。テレビは双方向ではないので、垂れ流すコンテンツが次々と出てこない限り、市場は縮小する。情報の受けてであるオーディエンスが飽きてしまったら、市場は縮小し、産業としては衰退する。
特にテレビ産業の場合、下支えしているのが視聴者が興味を示す番組作りという制作側の才能や登場するタレントのキャラクター性や才能であり、企業はそれに金を出す。YouTubeのような媒体が幅を効かせてくると、オーディエンスは地上波に拘る理由が無くなる。これまでアマチュアが支えてきたYouTubeニコニコ動画のようなコンテンツビジネスにプロの番組制作者やタレントが参入してきたら、市場は飽和しなくてもコンテンツはプロの映像制作へと移行していくだろう。実際にその傾向は現れてきている。そうなると、現在の地上波のように、規制が強く、同じような番組制作に帰結してしまう。
今回の自粛ムードは、そういった面も露わにしてしまった。映像コンテンツビジネスも、大きな転換点を迎えているのだ。

産業や経済は人が動くことによって成り立っている。
コロナショックによって衰退する産業、勃興する産業が見えてきたが、GDP規模で見た場合、やはりマイナス成長であることは事実なので、この自粛要請が解除されない限り、人々の生活にいつまでも不安が付き纏う。
最初に触れた福山哲郎議員の国会での在り方は、彼自身の資質の問題ではあるし、実際に彼の発言や態度には不遜な面がある。ただそうとばかりも言えないと感じたのも事実だ。彼の姿はそのまま国民の苛立ちの代弁でもある。その視点を抜きに問題視するのは、本質を見えなくさせてしまう。
東日本大震災は、人間の力では抗えないものだったが、今回のコロナショックは、多分に人災に近い。情報統制したChinaが、ということではなく、このウイルスの正体が分からないままに、各国の取り組みにバラツキがあったことだ。WHOの指導力が発揮されなかった点も大いに指摘されるべきだが、研究機関の充実している先進国ですら、その対応に大きな温度差があった。
幸にして日本は死者数が極端に低く抑えられている。BCG仮説を主張する論者もいるが、やはり日本の場合は国民全体に広く深く公衆衛生観念が根付いていることが、一番大きいと考える。

また、大きくはテレワークを行うことで、オフィスにいたのとはまた違う労働環境があると気づかされた人も多いはずだ。
印鑑問題だってそうだ。日本の伝統的な印鑑文化は、不必要に会社に出勤しなければいけないという煩わしさがあったが、それらの伝統習慣を変えていくきっかけにもなった。ギスギスした人間環境に惑わされることなく、好きな音楽をかけ、自分の仕事に集中して、作業効率は上がったという声も聞く。

新型コロナウイルス禍は、季節性インフルエンザの流行を抑えることに役立ったこともデータによって明らかだ。

終息したと言えない状況下、しかもこれから経済を立て直さなければいけない状況下の今でさえ、実は自分の周囲を見渡すだけでも、意外な変化に気づくかもしれない。
私は、コロナショック後、日本人がそれ以前と全く同じには戻らないように思う。
その戻れない部分が、新しい価値や新しい産業を生み出す原動力になる。
恐らく、一歩先を見据えている人は、もう動き出しているんじゃないだろうか?

今回のコロナショックは、多くの人の人生を変えてしまった。
元に戻る必要は、いささかもない。
前に向かえばいいのだと思う。