倉沢良弦『ニュースの裏側』

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ソフィア

サンパウロの夜は長い。

歌舞伎町や、北新地のようにネオンが輝いているわけではないが、市内のあちこちにライトアップされた建物が立っていて、タクシー等で出歩き、運転手にチップを渡すと、色々なところに案内してくれる。

店の層も様々で、懐具合により自由に店を選べた。要は、お金が無いなら無いなりの遊び方も出来る。

私がサンパウロに着いてから、一ヶ月ほど経った頃、先にブラジルに来ていた先輩が、ちょっと遊びに行こうと誘ってくれたのが、富裕層や外国人が行くナイトクラブだった。

”日本人はモテるぜ“

と先輩は言った。

金払いがよく、大声を出さず、紳士的に振る舞う日本人は、夜のサンパウロでは大人気だった。

店内には大音量のクラブミュージックが鳴り響き、様々な光が明滅する。周囲のボックス席に客の男性が陣取り、ダンススペースにはひしめき合うように女の子がいた。

ポールダンスの舞台では、ほとんど裸の女性がダンスをしていた。

私は騒々しい夜の店が好きではない。どうせなら、静かな音楽が流れる中、心許せる女性と馬鹿話をしてゆっくりとお酒を楽しみたい方だ。

まあ、そんなところだろうな、という思いで先輩に案内されてきたが、どうにも勝手が分からない。

ガルソンと呼ばれる男性が寄ってきて、何やら怒鳴っている。

 

“悪いな、今日は女の子が少ない”

 

“いいよ、今日は友達を連れてきたから、女の子を連れてきてよ”

 

男は私に一瞥をくれると、直ぐに金髪の女の子を連れてきた。

中々にお尻の大きな女の子で、私と先輩の間に無理やり体をねじ込んできた。

 

“ハ〜イ、なに人なの?ポルトガル語話せる?仕事で来てるの?”

 

矢継ぎ早に質問が飛んでくる。彼女の向こう側にいる先輩は、いつものお気に入りの女の子がいるらしく、その娘を見つけて手招きしながら、通訳してくれた。

私の数少ないポルトガル語ボキャブラリーを駆使して、どう考えても本当は金髪じゃないだろうと思える女の子と会話しようと思うのだが、私は推しが強い女の子は、正直苦手だ。いわゆるゲラと言われる娘に対しても、話は合わせるがそれ以上に進もうとは思わない。

それにしても凄い人数の女の子がいる。100人は下らないんじゃないだろうか?

先輩の話によると多い時は、女の子が店から溢れて入り口近くにいたりもするという。

先輩から、可愛い女の子ばかりだと聞いていたが、確かにその通りで皆、とても可愛い。

日本のキャバクラのように、お店に出るためにキャラ作りをしている雰囲気は全く無い。その辺を歩いている女の子が、少し上等な服を着て、少し丁寧にお化粧している程度だった。

私も男なので、折角来たのだから、女の子を連れ出そうかと考えてはいたのだが、私の隣にいて明るくギャハハと笑う自称金髪の娘は、どうにも好みの感じではない。セックスをするだけなら、その辺は気にしなくていいのだろうが、どうせなら好みの女の子がいいなあ、などと考えていた。

 

30分ほど、私は隣に座る胸とお尻の大きい自称金髪の女の子と、ポルトガル語と英語で、わからない者同士の、謎の会話を続けていた。

トイレに行きたいと思い、席を立った時、トイレがある廊下の近くに、黒髪の170センチくらいありそうな背の高いスラリとした女の子が立っていた。色白で、青い瞳のイタリア系の女性だと思われた。目と目が合い、ニコッとすると右手を少し上げてニコッと微笑んでくれた。

わざと地味に見せているのは、目立ちたがりの性格ではないからだろう。

綺麗な顔立ちは、知性を感じさせるものがあった。

胸も大きい方ではなく、そのせいか、強調するような服装ではないのが、むしろ好感が持てた。

スカートからのぞく脚は長く、とても綺麗だった。

 

”トイレ、コッチかな?“

 

”ああ…そこよ、左側“

 

ソフィアと交わした最初の会話だった。

 

”ありがとう“と言うと、”いいえ、どういたしまして“と言って、彼女は微笑んだ。

トイレに入る前に振り返ると、彼女は私の方を見て微笑みながら、ソコソコと言う感じでトイレの方を指差した。私は、親指を立てて彼女に笑い返した。

トイレから出た後、既に彼女はそこにはいなかった。

私は、数人の白人客のボックス席に座っていたソフィアに、先程のお礼に右手を小さく上げると、ソフィアは少し悲しげな表情をして小さく微笑んだ。

その後も、私は何度か彼女と目が合った。でも、その夜は彼女と会話をすることはなかった。

 

次の日、

”あの胸とお尻の大きな娘、どうだった?“

と先輩が聞いてきた。

”ええ、まあ…“

”あの娘、オッパイ大きかったよな?“

そんなくだらない会話が続いた。

セックスをするだけなら、ハッキリ言って誰でも良い。彼女たちはプロであり、お金を稼ぐ方法として、身を売っている。こちらもそれを割り切れば、こういう遊びにはそれ以上の意味はない。

それから連日、先輩たちは、私をいくつかのナイトクラブに案内してくれた。もっとも、私を案内するという口実で、自分たちが女の子を物色しに行っていたのだ。先輩たちは、毎回女の子を連れ出していたが、私はそうすることもあったり、タクシーで先に帰宅したりしていた。

連日ナイトクラブに連れ回されたが、私は最初に行った店に行きたいと思っていた。あの黒髪の女の子に、もう一度会いたいと思っていた。

他の店の女の子とセックスをしても、それは機械的なただの行為に過ぎず、空虚なものでしかなかった。

しばらくして、私たちは再び、最初の店を訪れた。私はあの黒髪の女の子を探したが、物凄い数の女の子の中から見つけ出すことは出来なかった。

その日は、女の子も客の数も多く、ボックス席は既に埋まっていた。

先輩が、

”どうする?“

と聞いてきたので、

”自分はここでいいっすよ。帰りはタクシーで帰りますから、先輩他の店へどうぞ“

先輩は、大丈夫か?と言いながら、それでも気持ちは女の子探しをしたいのか、じゃあ、と言って店を後にした。

日本人がひとりでいるのは危険だと言われるかもしれないが、習うより慣れろで、自分から飛び込まない限り、その国の文化や人々と触れ合うことはできない。まして、最初に聞いていたほど、夜のサンパウロを危険だとは思わなくなっていた。

私は、ボーイを呼び止めビールを頼み、チップを渡した。

何人かの女の子が入れ替わり寄ってきては、

“なに人なの?日本人?ポルトガル語話せる?”

と話しかけて来る。私は、言葉が分からないフリをして、

”I can't understand what you said, sorry"

を繰り返した。フン、という感じで女の子たちは立ち去って行った。

こういうお店で働く女の子は、生活費を稼ぐという目的のため、割り切って仕事をしている。その一方で、どこかで自分の運命の人に出会える可能性を探してもいる。ブラジルは貧富の差が著しい。多くの地方出身の女の子が、大都会サンパウロにやってきていて、ナイトクラブで働きながら、芸能事務所に入ってモデルになるか、大学を出てキャリアを積むか、外国人のお金持ちと結婚する日を夢見ている。

だから、女の子を連れ出し、いきなりホテルに行くよりも、バーやカフェで少しの会話を楽しみたいと思っている。

男にとっても女にとっても、それはたとえ疑似恋愛であっても、一つの恋愛の形なんだろうと思う。

 

暗がりで分かりにくかったのだが、私が立っているところの反対側に、鼻筋の通った綺麗な横顔をした黒髪のソフィアが立っていた。

人ごみをかき分けていくのもどうかなと考えていたら、ソフィアも私を見つけ、パッと笑顔になり、小さく手を振ってきた。

私は、人ごみを避けるように店の出口を指差し、ソフィアは頷いてそちらに向かった。

私たちは、たった2回しか会っていないことが嘘のように、互いのことが分かっていたのかもしれない。

 

”Here is so loud let's go out and go bar somewhere"

ここはうるさいね、外に出てバーに行こう

"Yes. Do you know anywhere?"

そうね、どこか知ってる?

“I don't know. Can you guide me somewhere? Make sense what I told you?

知らないんだ。案内してくれる?俺の言うこと分かる?

 

ソフィアは頷いて、私の手を握り、店の外に連れ出してくれた。

風になびく長い黒髪から見える彼女の首筋は、とても綺麗だった。

入り口に立っていた警備員の大男が、ソフィアを見て、私を見て、親指を立ててウインクした。

私たちは手を握ったまま、タクシーに飛び乗った。

 

 

それから、ソフィアは私のポルトガル語の先生になった。

私は週に一度か二度、なるべく早い時間に店に行き、ソフィアを連れ出して、バーに行きレストランで食事をし、セックスをした。

レストランで私が水の入ったコップを指差し、

“Glass cup"

と言うと、

"Copo de vidro"

と、ニコニコ笑いながら、ソフィアが答える。

そんなたわいもない会話をした。互いの映画の趣味や、好きな本を聞いた。ソフィアはタバコが嫌いだったので、私はタバコを吸うのをやめた。

夜、目覚めると彼女はいつも私を見つめていて、寝なさいと言って、シーツをかけ直してくれた。

出張に行き、免税店でブランド物の小物を買ってプレゼントしても、ソフィアは、

“嬉しいけど無理をしないで、もう買ってこなくていい”

と言った。

一度、私が三週間ほど日本に帰国したことがあった。本当は一週間くらいの予定だったのだが、仕事が重なり延びてしまった。久しぶりに店に行き、ソフィアの手を握り、連れ出して、ソフィアの好きなイタリアンレストランに行った。

ソフィアは、席に着いても黙ったまま、窓の外の行き交う人を見ていた。

私が困った顔をしていると、私の方に向き直り、

 

”大丈夫、怒ってないよ“

 

と言って、ニコッと笑った。

私は、自分がソフィアの笑顔を見たいんだ、とその時気づいた。

そうやって少しずつ、私たちは近づいていった。

 

ブラジルでありきたりなソフィアという名前は、それが源氏名であることを意味している。

出身もおそらくサンパウロではない、どこかの地方都市だろう。端正な顔立ちとスラリとしたスタイルは、地方都市では目を引く美人と評判になっただろうが、地味な彼女はサンパウロ市内では特に目立つ存在ではなかった。彼女は21歳で、英語力は日常会話には全く問題ないレベルだった。おそらくはどこかの大学生だったんだろうと思う。サンパウロではよく聞く話だが、学費を稼ぐために夜の仕事をしていたとしたら、彼女も自分のキャリアのために選択肢のない人生を歩んでいたのだろう。

そして、私たちの関係性には、越えてはならないルールがあった。それは口に出したものではなく、何となく互いにそう決めていたルールだ。

全て、お金は必ず私が払う。

お店でしか会わず、昼間には会わない。

連絡先を互いに聞かない。

本名を互いに聞かない。

そうやって半年ほど、私は彼女との関係、外から見れば彼女のお客さんという関係を続けた。

 

ある日、急な出張が決まり、二週間ほど他の国に行かなければならなくなった。

私はソフィアにそのことを告げたくて、店から彼女を連れ出して、食事に行った。

ところが、彼女は浮かない顔をして、私が話しかけても、返事に元気がなかった。

そして、いつもは彼女の店に帰るのだが、その日、彼女は私の住んでいるところを知りたがった。

当時、私は外国人や富裕層が多くいる中心街の高層マンションに住んでいた。

ホテルから私のマンションに向かう間、彼女は窓の外を見ながら静かに泣いていた。

私はその意味がよく分からなかった。

彼女の肩に触れると、ソフィアは、

 

“大丈夫…”

 

と言って窓の外を見つめていた。

私は財布から100ドル札を数枚だし、渡そうとすると、初めて、

 

“いらない…”

 

と言った。

 

私は、タクシーの運転手に、彼女をちゃんと家まで送って欲しいと、50ドル札を手渡した。

 

別れ際、彼女はいつも小さく手を振って笑顔を見せてくれるのだが、その日は、一度だけ泣き顔のまま私を見つめた後、タクシーを走らせ去っていった。

 

 

それ以後、ソフィアは私の前から姿を消した。

他の店にも行ってみたが、探し出せなかった。

店のボーイに聞いても、

 

“セニョール、ここじゃ女の子はみんな、ソフィアかエレーナかジュリアだよ。色白の背の高い娘がいいのかい?紹介するよ?”

 

と、答えるだけだった。

 

こうして、私のブラジルでの恋が終わった。

ソフィアが私の前から消えた理由は、今も分からない。