倉沢良弦『ニュースの裏側』

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何故、野党は間違えるのか?その1

新型コロナウイルスショック前から、旧民主党の残党ともいえる現在の特定野党は、モリカケ問題や公文書改竄、総理主催の桜の会に関しての問題を衆参両院で徹底追及してきた。
バブル崩壊後、自民党は徐々に弱体化を進め、デフレ不況からの脱却という至上命題を抱えながら、その手法に光明を見出せず景気後退の波を防ぎ切ることが出来なかった。それは、取りも直さずそれまでの55年体制の崩壊を意味していた。自民党は、旧社民党や時々に第三極と言われる野党陣営との間に、意図的に軋轢を作ることで、国民の溜飲を下げる演出を行い、地方票のバーターを条件に自民党一党独裁でこの国の形を作り上げてきた。
日本社会には、決して表面には現れないタブーが幾つか存在した。それが在日朝鮮人問題であり、部落問題であり、北朝鮮拉致事件であり、Chinaの分断工作であり、共産主義思想家による国家転覆問題だ。昭和の時代から幾人かの勇気あるジャーナリストが、それらの問題にメスを入れてきた。しかし、UMAやUFOのように結局は都市伝説の域を出ないものとして、社会から封殺されてきたのだ。これら社会のタブーを背景にした政治勢力が、社会党であり民社党であり日本共産党だったのだ。これら政治思想的なイデオロギーは、明治以降の日本が東アジアに勢力を拡大することと同時に、封建的で閉鎖的だった日本社会にイデオロギーという概念が開花する源ともなっていった。
昭和の時代、日本社会に変革をもたらしたいと考えた政治家の多くが、この日本的な国家観にイデオロギーを持ち込むという手法で挑んできた。
近代国家の底流にある革新的な政治思想が、旧来の日本的なる国家観の破壊と建設を担うと考えていたのだ。それが、日教組であり、労組であり、労連であり、日弁連であり、部落解放同盟であり、チュチェ思想研究会ということになる。日本が東アジアに進出したことを植民地化と評するのは致し方ない。事実、その要素は多分にあったからだ。一方で太平洋戦争は対米戦争のみを言い、昭和の開戦は日本的には大東亜戦争と呼称すべきだ。つまり、欧米諸国の植民地であった東南アジア諸国の解放だ。これに猛反発していたのがABCD包囲網で、日本の台頭にまったをかけて第二次世界大戦を引き起こした。
結果的に、日本は敗戦することになったのだが、日本の国土が分断されなかったのは、日本の国家観が欧米に理解できなかったのも理由の一つではないだろうか?この点は多くの意見が分かれるので、ここでは触れないでおく。
第二次世界大戦以前も、日本を分断する動きはChinaやロシアとの駆け引きの中でいくらでもあった。オランダとイギリスは日本の植民地化よりも上手く付き合う方を選んだのだ。所が、大東亜思想が表面化し、日本が東南アジアに進出となればその周辺国と欧米各国が黙ってはいない。
敗戦後、日本はアメリカの軍門に下り、それ以後共産主義国家となったソ連もChinaも日本に手出しできない状況が生まれた。
そこで、彼らは日本社会に入り込み中から思想改造を行うことになったわけだ。
欧州で生まれた共産主義革命は、世界の半分の国を巻き込み、労働者が立ち上がり理想的な社会主義の実現を夢想した人々が世界を揺るがせる存在になっていった。そのきっかけがソ連でありChinaだった。所が、共産主義思想はその高らかな謳い文句とは裏腹に、中央集権化したただの独裁国家であること、内外の情報統制を行い、国民を無力化して奴隷化するだけのものだったことが、早晩、明らかとなった。それがベルリンの壁崩壊であり、ソ連崩壊だ。唯一残ったChinaは、China共産党の中央集権体制を維持しながら、改革開放路線で資本主義経済を取り入れた経済大国化への道を進むことで、体制維持を図っている。

前置きが長くなったが、それらは全て、イデオロギーの相克の歴史でもある。
事実、建国以後のアメリカは共和制を敷いた国家体制、つまり各州が一つの独立国家として動き、それを取りまとめる役割がアメリ連邦政府でありホワイトハウスであり、アメリカはもともと小さな政府の国であって、むしろ、独立自尊の精神は各州にこそ宿っている。だから、いまだに各州は州旗というものに思い入れのある国民が多い。ただ、自由と平等の上に成り立つアメリカという国家は、自分たちですら移民の子孫であることを知っているし、アメリカ大陸という広大な国土は、移民が開拓したと信じている。一方で、移民の人々は無一文でブルーカラーから人生を再スタートし、子や孫に高い教育を受けさせることで、この移民の国での成功者にのし上がっていくというアメリカンドリームを体現してきたが、多くの人種は差別を生み、偏見を生んできた。マーチン・ルーサー・キングの描いた夢は、それらを乗り越えた先にあった。銃弾に倒れた彼は、アメリカの国家観の柱である平等の英雄となった。
この自由と平等の相克が、アメリカの共和党民主党の歴史的背景だ。
アメリカの大統領選が革命と言われるのは、このイデオロギーを旗頭に、前の大統領時代の法律をあっさり覆して新たな法律を制定し、時々の大統領を中心に国作りを行っていくところにある。これらの最もわかりやすい解説が、オバマ大統領が就任した時の町山智浩氏の解説だ。
民主党クリントンの時代の好景気を一気に後退させた共和党ブッシュ。911をきっかけに財政赤字国に転落したアメリカは、世界の警察というアメリカのプライドと引き換えに、国内経済を疲弊させた。オバマは大統領就任にあたり、

イデオロギーや思想で国民は飯が食えない。イラクを攻撃したからってアメリカの財政赤字は解消されないどころか膨れ上がったじゃないか。そういうバカげたことをChangeして、国民全員が飯を食えるようにしよう」

と演説して、ブッシュに飽き飽きしていたアメリカ国民、特に有色人種を熱狂させた。これが、オバマの言うChangeの意味だ。
そしてトランプの時代、人々は、

オバマがChangeした国家のありようで俺たちは余計に飯が食えなくなった。移民が俺たちの仕事を奪う。Chinaがアメリカの富を収奪している。我慢がならない」

という不満が最高潮に達した時、ポピュリズムの雄、トランプがMake America Great Againを叫んで、大統領に就任した。
これも、イデオロギーだ。分かりやすい言葉をアジテートし、連呼することで民衆の意識改革を迫ったのだ。

これが欧米の政治的思想の背景に脈々とある。それはアメリカに限らない。
今の日本の野党は、これが政治だと思っている。
ここに、そもそもの間違いがある。

続く