倉沢良弦『ニュースの裏側』

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台風は人災である

台風19号の残した爪痕は、報道で明かになる毎に、その大きさが顕著に際立ってきた。
少なくとも、ここ数十年内におきた台風による災害の中でも、その規模において歴史に残るものとなりそうだ。
ここに来て、旧民主党政権下において予算削減の対象になったスーパー堤防に関して、当時の国会議員を非難する声が高まってきた。これは、公共事業の重要性を認識している研究者や事業者にとって、当然すぎる結果を生んだことになる。
八ッ場ダムについても、当時の民主党政権では必要ないとの判断を下したが、運用開始直後に襲来した台風19号は、八ッ場ダム利根川水系の人々の命を守ったことを証明したに過ぎない。
翻って、今回の水害に関して思うところを書いてみるが、これは明らかな人災だ。
予算削減をキーキー声で叫びまくったどこの国の国会議員か分からない、女性議員を責めているのではない。
全ては縦割り行政の弊害だろう。
元々、自然災害には脆弱な日本にあって、川沿いの住宅地が真っ先に危険に晒されることは容易に想像出来るが、宅地分譲の許可を与える行政機関と、災害に対する備えを行う機関が、想像力の欠如により大規模災害に対する備えの重要性を理解していないのだ。
つまり、各省庁が、これまでの自然災害に対し必要な備えについて分かっているにも関わらず、予算措置や対策について自分たちの言いたいこと、業務範囲に固執するあまり、このような被害が拡大してもなお、その姿勢を改めようとしないのだ。日本の大抵の国会議員は官僚上がりが多い。彼らは、自分の出身省庁の利権を大事にする。そうやって官僚と繋がることで、国会議員としての立場と仕事を守ろうとするし、官僚は官僚で予算の確保を図ろうとする。真面目な官僚であればあるほど、その傾向が強い。財務省の官僚は税金をたくさん集めたものが出世できるのと同義だ。
これらの官僚機構の弊害の部分が、縦割り行政に現れている。
本来であれば、省庁間の垣根を越えて、日本独特の災害対策を執るべきであるにかかわらず、そうならないのは、官僚支配の構図が生み出している悲哀とも言える。
日本に必要なのは、国土の強靭化ではないのか?
今回に限らず、災害が起きるたびに同じ課題が浮き彫りになることは、我々の不幸でもあるだろう。