スウェーデン人の環境保護活動家(自称)が国連で、富裕層や先進国首脳に対し、「てめーら、いい加減にせーよ!」と批判した発言が、世界中で話題になっている。
そのことで、彼女に共感する発言も見られるが、そもそも彼女は学生の身分で、様々な疾患を有していることが揶揄され、また両親もANTIFAの支援者であることが暴露されたり、Greta Thunburgの取り巻き集団の怪しさが暴露されたりして、そもそも彼女が国連の場で取り上げられることの意味自体が問われることになってきた。
Greta本人は、11歳で環境問題の深刻さを痛感してウツになったとか、金輪際、飛行機での旅はしないと宣言し、今回もわざわざヨットで大西洋を横断して国連に乗り込んできた。しかも、彼女は環境問題を疎かにしてきた世界中の富裕層を批判しながら、ジョージ・ソロスやビル・ゲイツ財団の関係者らしい人物の支援を受けていて、しかも両親はスウェーデンでも有名な俳優で、Greta自身は何不自由なく生活できているという矛盾も暴露されてきた。
私は、子供が環境問題を取り上げて、次世代の自分たちが何を為すべきか?を自問自答するのはとてもいいことだし、またその活動を推進するのも悪いことではないと思っている。実際、そのような動きは世界中にある。殊に先進国が排出するCO2やヘリウムによる温暖化現象は、アフリカに気候変動を起こし、アフリカの人々を苦しめているという説があるのも知っているし、近年、度々起きているアメリカ大陸に来る巨大なタイフーンや、ユーラシア大陸での気候変動にも関心がある。ただ、東日本大震災のように、巨大な自然災害は、人類が排出したCO2など足元にも及ばないほど、人類の叡智で築いてきた文明を一瞬で崩壊させる力を有している。
つまり、ミカンの皮よりも薄っぺらな地球の表面にしがみついている人類の起こすことなど、地球誕生後50億年の間に、あらゆる生命に影響を与えてきた自然現象に比べれば、なんて事ない。先日、地球に大接近した巨大な小惑星(2019 OK)は、仮に地球に直撃したら、とんでもない数の人間を消し去り東京23区と同じ面積を壊滅させる破壊力を持っているではないか。しかも、文明が進歩したと言っても、その小惑星の発見すら、地球を通過する僅か数日前に発見できたに過ぎない。
人類とは所詮、それだけの存在なのだ。
Greta嬢が、目に涙を浮かべ、自身も富裕層であるにも関わらず、また、プラスティックや化石燃料を燃焼して作られたものに囲まれた生活をしながら、ヨットに乗って優雅に大西洋を横断する課外授業を行い、国連で衆目を浴びながら、一見正論めいたことを訴えても、それ自体は全く空虚な絵空事でしかない。学校に行かない彼女が、訴えていることは、環境保護団体やヴィーガンと呼ばれる人々の言うことと矛盾しないが、言ってることは矛盾だらけである。
マイノリティの権利保護を訴えるANTIFAのように、異様性が表裏一体となっているだけの存在だ。過激な彼らのような集団は、多様性と包摂性という矛盾の、それもマイノリティ側に立つ一見、正当性だけを主張している。曰く、我々は被害者だ。我々は、虐げられている。我々こそが、権利を勝ち取る時が来ている。
富裕層が地球環境の保全に乗り出すのは、我々が破壊してきたことの罪滅ぼしだ、というのも理屈としては正しいかもしれないが、人類の発生も自然現象だし、地球が温暖化することをむしろ喜んでいる人もいる。
また、地球の温暖化は50億年の間に何度も繰り返されてきた周期でしかない、という指摘もある。
ロシアは永久凍土によって開発が困難だった地域から化石燃料を取り出すことが可能となり、穀類の生産地域は温暖化により拡大していて、人口増加に十分対応できるという説もある。
また、ヴィーガンのように動物を殺すなと言ったところで、そんなことをすれば、動物だらけになり、人間が生産する穀類を食べに来て、結局、人間が迷惑を被るだけになる。
今回、そんな過激思想を背景にした女の子が、国連の場で発言の機会を持ったことは、私たちに一つの提言を投げかけた点では意味があると思うが、同時に彼女の背景にあるような極端な思想に偏った人々が、智慧を出し合わなければいけない立場の人々をただ脅迫するだけの場にしてしまった。
その意味で、仮に国連内のロビー活動に、いかがわしい人々が暗躍し、権利主張を繰り返し、何ならそれを飯の種にしようとしているとしたら、そちらの方が由々しき問題ではないだろうか?
私は彼女が発言し、お涙頂戴の場面を演出し、世界中のメディアが取り上げる様を見て、アル・ゴアの『不都合な真実』を思い出すばかりだ。彼と、彼を支援する団体は、アル・ゴアをシンボリックな存在に祭り上げ、数百億単位のお金を動かしたと言われている。アル・ゴア自身も、儲けた金で数十億の家を建て、猛烈な批判の砲火を浴びた。
同じ匂いを感じているのは私だけではないように思う。